″メディアで紹介される「中国ネット世論」という嘘″―若手ノンフィクション作家が語る中国ネット界の「真実」
「インターネットの普及で、中国の若者が日本のアニメに興味を持つようになった。こうした世代が過去の歴史問題を乗り越えて、日中関係を変える」「微博(ミニブログ)などソーシャルメディアの普及により、中国共産党の一党独裁が揺らぎつつある」。一昨年の末頃から、日本国内のマスメディアにおいて、上記のような論評が多数見られるようになった。特に昨年7月に浙江省温州市で起きた高速鉄道事故については、「ネット上では当局への批判が沸騰している」と盛んに報じられた。しかし、中国のインターネット上に現れる声は、どれほど中国の現実社会の実態を捉えたものなのだろうか。『中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない』を上梓したばかりのノンフィクション作家でBLOGOSの参加ブロガーでもある、安田峰俊氏に中国の「ネット世論」をどのように読み解くべきかを聞いた。(取材・執筆:永田正行【BLOGOS編集部】)
ネットの普及が中国に民主化をもたらす可能性は低い?
―安田さんは2010年に、中国のネット世論のポジティヴな側面を描いた『中国人の本音 中華ネット掲示板を読んでみた』という本を出版されています。今回、まったく異なる方向の「中国・電脳大国の嘘」という本を書かれた経緯を教えてください。
安田峰俊氏(以下、安田氏):処女作「中国人の本音」(講談社)は2010年4月刊行でした。この本は自分のブログの書籍化で、中国のネット掲示板の内容を引用・解説して、「中国のネット上には、こんなことが書いてあります」と紹介したものです。作中では、意外と自由に意見交換をしているように見える政治談議や、「親日」的な議論など、従来の我々のステレオタイプな中国理解の文脈とはちょっと異なった、中国のネットユーザーたちの書き込みを多く紹介しました。「こういう自由で、日本に対してフラットな姿勢を持ってて、面白いことを言っている中国人もいます」という事実を提示したわけです。当時、「中国のネット世論」を正面から取り上げた書籍はほとんどなく、こうした情報を一冊の本にまとめて世に出したことは、振り返って考えても意味があったと思っています。
……しかし、その結果がちょっと問題なわけです。「中国人の本音」の出版後、テレビや新聞を含めた様々なメディアの取材を受けました。そして、これは自分の本の影響とは限らないはずですが、大手のマスメディアが「中国人の本音」と似たような、もしくはさらに極端な主張をするようになっていった。つまり「中国のネット上では、自由で反体制的な意見交換が活発になされている」「日本のアニメが好きな中国人が増えており、やがて若者たちによる日中相互理解と両国の友好が進んで行く」「ネットを通じて中国人が自由主義、民主主義に目覚めていく」といった類の主張です。
なので、安田の「中国ネット事情解説」第二弾である今回の本も、本来であれば、こうした主張をさらに補強するような内容を書くはずでした。実際に第2章ぐらいまで書き進めていたんですが……。ところが、類書を読んだり取材を進めたりする過程で「それは明らかに違うだろ!」と思ったんです。せっかく書いて勿体なかったけれど、第2章までの3万字くらいを自発的にボツにしました(笑)。
―考えが切り替わったのには、何かきっかけがあったのでしょうか
安田氏:私はもともと、ネットの海に漂ってた一介のブロガーにすぎないわけですよ。2009年ごろに「中国人の本音」を執筆していた段階では、書籍ってどうやって書くのかあんまりよく分かっていないままやっていた部分があった。中国ネット世論の性質への明確な価値判断というのも、当時は自分の中でそれほどあったわけではなかったんですね。
なので、第一作の結論部分では、無意識的に「日本人たちが喜ぶ、耳触りのいい主張」に安易に流れた部分があった。もっともそのおかげで、メディアはその主張を喜んで受け入れたし、本を書いた安田自身も「俺の書いたものが正しいから世間に受け入れられたんだな。俺って超すげえ!」としばらく無邪気に喜んでいたんですけど(笑)。
しかしながら、「日本人が大喜びする主張」は果たして「事実に基づく主張」とイコールで結べるものなのか。今回、同様のテーマの本を執筆するにあたり、この問題を突き詰めて考えた末に「これは耳触りがいいだけで、『事実』とは限らない」という結論に至った。この思いが芽生えたのは前著『独裁者の教養 』(星海社新書)の取材で、雲南省の奥地のド田舎の村に行ったときです。そこで、日本のゲームにめちゃくちゃ詳しいけれど、日本のことなんて何も知らないし興味もない若者に出会った。さらに昨年7月に高速鉄道事故発生直後の浙江省を取材した際に、非常に激烈な当局批判の声が噴出しているとされた「ネット世論」に対して、現地のリアルな世論がちっとも沸騰していない現実を目の当たりにした。これらが決定的なターニングポイントになりました。
また、2010年後半から11年にかけて「中国人の本音」のように中国のネット世論に関わる書籍が多く出版されたことも大きいですね。「中国人の本音」で紹介したような中国のネット上における議論や、アニメなどを通じた中国人の対日認識の変化への肯定的な主張を、大メディアに所属する一流ジャーナリストや、在中日本大使館で勤務した外交官なんかのめっちゃ偉い人たちが大真面目に論じはじめたわけです。「アニメ文化で日中相互理解ができる」「中国はネットの力で民主化する」と。
しかし、これらの一連の著作を読んでいたら、自分の著書と似た主張がたくさん書いてあるのに、あまり「その通りだ」と思えなかったんですよ。うさんくさいブロガー出身ライターが五里霧中で書いたものならともかく、権威と学識ある偉い人たちが事実と経験に基づいて論じておられる主張にしては、どうも理想主義的すぎて「皮相上滑り」な印象を払拭できなかった。
なので、同様の主張をさらに補強するような本を書いてもしょうがないと思ったんです。また、実際に現地の様子を見ていて、そんなに簡単な理屈で割り切れるもんじゃないなという思いもありました。
―本書の中では、いわゆる昨今の日本国内のメディアで取り上げられているような文脈、「中国におけるネット世論の成長が民主主義の成熟や親日的な世論の形成につながっていく」というものに疑問を呈しています。そもそも、こうした主張はなぜ生まれてくるのでしょうか?
安田氏:「日本人にとって理解しやすい視点」「日本人にとって好ましい結論」を求める姿勢で中国を眺めていることが一因にあると思います。具体的に言えば、民主主義なり言論の自由なり、「親日」的なフラットな感性なりを、どうしても実態以上に過大評価して大々的に伝えてしまうわけです。
また、日本と中国との本質的な差異について、やや注意が払われていない部分もあると思います。中国は広くて人間が多い国ですし、北京や上海などの都市部と農村、また日本とは比較にならないほど大きな所得水準や教育水準の格差を前にしては、明確な「世論」などあってなきような部分もあるはず。なのに、どうしても日本国内の社会を眺めるのと同じように画一的な理解をしてしまう。
そもそも、中国が「日本とは政体のあり方が根本的に異なる独裁国家だ」「それは現代の共産党体制のみならず、ずっと昔から同様で、それなりに上手く回ってきた統治システムだ」という当然の事実を、私を含めた日本人はわかっているようでわかっていない部分があります。中国の政体のありかたには、2200年前の秦の始皇帝の――少なくとも1000年前の北宋の時代からの国家体制が継続しているような部分がある。そんな国の社会に住む人々の間では、われわれ日本人が「人類の普遍的な共通認識」だと思っているものが、意外とそうではなかったりするケースが往々にして見られるわけです。
「日本の当たり前が中国でも当たり前」と考えるから、誤解が生まれる。例えば「人間は政治に対して自発的にモノを考え、民主化や言論の自由を求めるものである」などというのは、西欧や日本の価値観において理想ではあるけれど、中国の大多数の庶民が抱く思考パターンではないかもしれない。
この点を疑わず、民主主義や言論の自由を自明の前提にして中国を見てしまうから、ちょっとした変化(=今回の場合はネットの普及)に接するたびに「これが中国に民主化をもたらす」などという理想主義的な意見が常に飛び出すんじゃないでしょうか。
―そもそも普段、マスメディアは日本のネット上の声を積極的に拾うようなことはしないと思います。どちらかといえば、軽んじているようにも見えます。中国を報道する時だけ「ネット世論」を抽出することには違和感を感じますよね。
安田氏:そうですね。一昨年の尖閣問題抗議デモとか昨年の反フジテレビデモも、私個人がその主張に賛成するかはさておき、日本の「ネット世論」は大沸騰していたわけです。でも、大手メディアは華麗にスルーした(笑)。このように普段は日本国内のネット言論の影響力や政治動員力をかなり軽視しているのに、中国のネット世論を取り上げる時だけ「日中相互理解や民主化につながる!」と熱い視線を送って大々的に報じるのは、なんだかヘンですよね。
要は日本のメディアの……、といいますか、日本人の願望に起因しているんだと思います。「中国は民主化して欲しい」「中国の民衆は共産党体制に沸騰するほどの怒りをもっていてほしい」「日中相互理解が進んで欲しい」。日本のメディアの人たちには、こういう文脈に合致する「耳触りのいい」ものごとならば、普段はバカにして嫌っているネット世界の話でもあっさりと持ち上げる習性がある。ある意味で非常にわかりやすいと思います。
「事故で何十人死亡」というニュースにそれほどのインパクトはない?
―著書の中では、昨年の高速鉄道事故の例を挙げて、ネット世論と実態の乖離を指摘しています。日本の報道では、当局に対する批判が非常に盛り上がっているように見えるけれど、現地の人々は意外とクールだったという指摘です。
安田氏:この事件は象徴的でした。「高速鉄道が衝突して、数十人の死者が出た」。これは日本の感覚で言えば超・大事件です。2005年のわが国のJR福知山線脱線事故に当てはめれば、「日勤教育はよくない」「JR西日本はけしからん」と、ネットはもちろん一般社会でも話題になる。タクシーの運転手さんや、立ち飲み屋で飲んでるオッサンが世間話で口にしたりする。まさに「世論の沸騰」ですね。しかし、鉄道事故発生直後の地元・浙江省の一般社会では、そんな「沸騰」は全然起きてなかったわけですよ。
なぜ、リアルな中国社会の庶民は鉄道事故に無関心だったのか? それは、中国における「事故で何十人が死亡」とは、実はそれほどインパクトがある話ではないからです。今回は最新の高速鉄道だから多少は話題になりましたが、長距離バスなら中国全土で1週間に1回くらいのペースで事故が起きて2ケタの死者が出ていますし、飛行機も数年に1回くらいは墜落している。炭坑や工事現場が崩落して労働者が数十人単位で犠牲になるのも、残念ながらよく聞く話です。もちろん、誰だって死ぬのはイヤに決まってますが、今回の鉄道事故のような「事故で何十人が死亡」という事態は、中国社会において日本人が思うほどのインパクトはないわけです。
こうした感覚の違いは、人口の多寡であり、政治体制や人権感覚、他人の生命や人生への関心の度合いといった、両国間の文化や社会の差異により生まれるものです。しかし、こうした言語化しにくい部分での感覚の差異は、意外と認識されにくいんです。一般的に、どこの国の人もそうですが、「自分たちの感覚が、人間の普遍的な感覚だ」と無意識的に思っているところがある。しかし、実際には必ずしもそうではないということです。
―日本の国旗を燃やしている中国人の映像などが報道されると、反日感情が劇的に高まっているように思ってしまいますが、その裏には当局の政治的意図が働いているとも指摘しています。
安田氏:いわゆる「歴史問題」から、日本に対して潜在的な忌避感を持つ中国人はいます。もちろん、日本を好きになってくれる人たちもいる。しかし、中国で急に日本料理店を襲撃するような激烈な反日運動が起きたり、一方で手のひらを返したように「日本に学べ」「日中友好万歳」とかいう意見が溢れたりする現象は、極めて奇妙に感じる話ですよね。
私を含めた日本人はどうしてもこうした現象に一喜一憂しがちです。でも、大事なのは感情的な一喜一憂ではなく、「何故これが起きているのか」「彼らが自分の頭で考えた結果なのか」という部分に目を向けることではないかと思います。
詳しくは本に書きましたが、もともと「対日感情マイナス30」ぐらいのものが、いきなりマイナス50になったりプラス10ぐらいになったように見えるのは、その時々の指導者の意向、すなわち「政治的正義」の影響を受けた結果であることが多いようなのです。この「政治的正義」は、必ずしも明確な命令によるものではないのですが、民衆側が上手く風向きを読んで付和雷同しているわけです。
―著書の中では、統計を挙げて1995年ぐらいから対日感情が否定的なものから肯定的なものに切り替わっていると指摘しています。これは、本当にそうなっているわけではなく、政治状況などの変化によってイメージの操作が行われているということですか?
安田氏:ええ。それも当局が「対日認識を変えろ!」と明言してやっているわけでは必ずしもなく、庶民の方で「風向きを読んで」そんな言動をとっている部分も大きい。例えば1995年だと、「反日」的とされる指導者・江沢民の登場による政治的な風向きの変化ですね。
先の話にも関連しますが、独裁国家・中国における統治集団の権力は日本とは比較にならないほど大きい。そのため、中国の少なくない民衆の間には、強大な為政者たちの意向を敏感に察知し、それに合致した言動を自ら選択しがちな「乗風転舵・看風転舵(風が吹く方向に舵を切る)」という風見鶏的な性質がけっこう強固に存在します。これは、多くの政治的変動を切り抜けてきた庶民のサバイバル技術だとも言えますね。いわゆる「対日感情」には、その時ごとの中国共産党の「政治的正義」と、それに付和雷同する庶民の「乗風転舵」から解明できる部分がかなり大きいように感じます。
中国における極端な「反日」や「親日」現象は、現実の日本の姿勢に左右されて起きるものではなく、彼らの国内的な政治の内部事情に基づいて起きる部分も大きいんです。
―そうした庶民の「乗風転舵」的な感覚を日本人が理解するのは難しいと思うのですが、もう少し噛み砕いてご説明いただけますか。
安田氏:そうですね。なかなか難しいですが、日本では、指導者の変化で社会全体の「政治的正義」の基準が根本的に変わるというケースはそれほど多くないですよね。例えば「自民党政権時代は普天間基地の現状維持が絶対的正義、民主党政権の時は基地移転に大賛成だ!」とか言い出す庶民はあまりいない(笑)。過去100年で同様の事態があったのはGHQの対日占領くらいですが、これは大部分の日本人にとっては「歴史」の話で、身近な出来事ではないし、そう滅多に起こるとは想定していない。
しかし、中国ではそうした大変化がしばしば起きるんです。毛沢東・〓小平・江沢民・胡錦濤、そしておそらく次の習近平の時代、それぞれの時代において、政策に指導者の意向が厳しく反映されて、「政治的正義」の基準が大きくブレる。日本でたとえるなら、GHQがやってきて、従来の体制下で真面目に働いていたお父さんが公職を追放されたり、不公平な裁判で戦犯扱いされて絞首刑を受けたり、従来は積極的に使われていた語句がいきなり検閲対象になって出版媒体に書けなくなるみたいな政治の風向きの変化が、数年や十数年に一回のペースで起きかねない社会だということです。たまらない話ですよね。
昨日まで称賛されていたものが、今日からはいきなり批判対象になったりする。そんな社会で暮す庶民には、政治の風向きの変化を肌で感じるアンテナを持つことが、自分の安全を守る作法として必要になるわけです。
―「為政者の意向を汲み取ろう」という気持ちが現代の日本人と比べて大きいということでしょうか?
安田氏:一番分かりやすいのは1966年の文化大革命(文革)でしょう。従来は是とされていた人たちが、突然「修正主義分子」「資本主義の手先」ということになり、吊るし上げられたり殺されたりした。こんな「政治的正義」の変化を受けて、自分が吊るし上げられないために糾弾側に回る人が多く出た。いっぽう、その次の〓小平の時代になると「資本主義はOK」という新たな「政治的正義」が出て、こんどは文革時代に資本主義者を糾弾していた人たちが、みんな仲良く手のひらを返して資本主義者になった(笑)。
1989年の天安門事件は、「乗風転舵」をしない場合のリスクを示す教訓だともいえます。デモ隊があれだけ集まれたのは、当時の政権内の趙紫陽らの改革派が、抗議行動にある程度は寛容だったからです。それが、趙紫陽が失脚して保守派が台頭するや、最初はそれなりに「政治的正義」を反映していたはずのデモ隊は「動乱」を扇動する不逞な悪党どもという位置付けになり、まとめて粛清されたわけです。
以上の事例からもわかるように、中国にはその時ごとの「政治的正義」を読み取り、指導者の意向を適切に読み取っていかないと生き残れない近現代の歴史があります。サバイバル術「乗風転舵」を磨かなければならない。困った話ですが、そんな一面があるんです。
砕けた例えかもしれませんが、「サバイバル術」と言えば「課長・島耕作」の世界に近いかもしれませんね。
旧時代的な大企業「初芝」社内では、どの上司が権力を握っているか、どの派閥が優勢かの風向きを読みながら仕事しないと出世できない。そこを読み誤ると簡単に失脚・左遷される。中国人の政治に対する「乗風転舵」は、島耕作の世界で描かれる80年代の日本のサラリーマン哲学に通じる部分があるかもしれません。島耕作は会社の中だけですけど、中国は社会規模でそうなっている(笑)。
―それは中国人すべてに通じる考え方なのでしょうか
安田氏:文革や天安門の肌感覚を知る、1970年代よりも前に生まれた中国人には、そういう意識を持つ人も多いでしょう。もちろん、都会のお金持ちのボンボンみたいな大学生は世間をナメてるんで(笑)不用意な言動もしますけどね。今は胡錦濤の時代ですけど、これから習近平の時代になるとされる中で、自分の身をどう処するべきか考えている人は意外と多いのではないでしょうか。
もちろん、現在の中国のネット上の意見が「風向きを読んだ」発言しかないのかといえば、決してそうではありません。そういう感覚が薄い若者層も、それに背を向けて自分のアタマで考える「気骨の士」もいます。ただ、反日なり親日なり極端に議論が盛り上がる場合には、総体として「乗風転舵」的な中国人の伝統が発揮されているケースが多いように感じるのも事実なんです。
中国では、常に"ネット世論が沸騰"している?
―今、日本のメディアの中で、「中国でネット世論が沸騰、政府への批判が噴出」というような報道が見られますが、それをそのまま鵜呑みにはできないということでしょうか。
安田氏:現在、中国で何か起きると、そういう言葉が登場しがちですよね。先に話した高速鉄道衝突事故、去年9月の上海の地下鉄追突事故などが代表的です。なかには、中国中央テレビが「やらせ」をやったとか、中国高速鉄道の新線が「開通」したとかに対して「ネット上で当局への批判が噴出」なんて記事まであります。「中国報道にあたって、事件の概要の後に『ネット世論沸騰』と必ず書き添えなさい」という各社間協定でも出来たの? と冗談のひとつも言いたくなる(笑)。
しかし、そこで「ネット世論の沸騰」とやらを担う人々は、果たして中国の大衆とイコールなのか。ネットで声が大きい人は世論を代表しているのかという疑問があるわけです。
例えば日本において、ネットの声が世論の一端や一階層の意見を反映しているのは事実です。しかし、それは現実の日本社会の主流意見を反映しているとは限らない。例えば昨年の反フジテレビデモの主張は、日本社会の主流意見を反映しているとは言いにくいと思います。あれって当事者や参加者にとっては大事件だったんでしょうが、一般大衆の間で「世論の沸騰」なんて全然起きていない。
「ネット世論の沸騰」の実態は、声が大きな少数の人たちがたくさん書き込んでいるだけかもしれない。それが社会に大きな影響を与えられるとは限らない。ネット上の言説に対する、そんな基本的な理解は、「2ちゃんねる」を半年ROMっていると身に付くスキルじゃないでしょうか(笑)。でも、中国のネット社会を眺める日本のメディアの人たちの間では、そういうリテラシーが欠けているような気がします。
―確かにそういう意味では「ネット世論=中国の世論」という理解には無理があるということはわかりました。一方で、「中国は日本ほど言論の自由が保障されていないので、ネット上にこそ本音がでるんじゃないか」という指摘もあると思うのですが……。
安田氏:もちろん、それは否定しません。本音が出る場合は確かにある。共産党支配への不満は、至極真っ当な考えですし、そういうものがネット上で表出するのは当然です。ただ、それは一部の人、一部の知的階層、一部の年齢層の意見にすぎない可能性も考えなくてはいけない。
「ネットで当局批判噴出」で中国の独裁的な政治体制で変わるかといえば、正直言って首を傾げざるを得ないんです。ネットで高まった政府への批判が、「じゃあ次はデモだ!」という大規模な社会運動や、多くの大多数の中国人の間での民主化意識の向上には繋がりにくいと感じます。細かい数字や論拠は実際に本書を読んでいただきたいのですが、「ネットで批判噴出」的な主張をしている人の数は中国人民全体のうちで数%からコンマ以下の%くらいしか存在しないと考えられるためです。
ネット世論における、自分たちが「理解できる」「耳触りのいい」少数者の言説を取り上げて「これが中国の世論だ」「中国は変わる」というのは、ちょっと乱暴ですよね。
―「部分の全体化」は危ういということでしょうか?
安田氏:そうです。前述しましたが、中国の反体制的な言説というのは、日本人の価値観からは非常に理解しやすいものだから、日本の報道文脈において実態以上に大きく取り上げられがちな部分がある。記者たちがインテリである以上、同じインテリたちが発信する論理に感応しやすいんです。
でも、民主化にも言論の自由にも人権問題にもさっぱり関係ないような、日本人の感覚では「理解不能」な中国人は、「理解できる」言説を発信するインテリ中国人の何倍も何十倍もいるわけですよ。「なんで、おまえらそんなことせなアカンねん?」と思ってしまうような人たちとかですね。村同士で銃火器を使って戦争をおっぱじめるとか、農民が「畑のダイコンをタダでやる」と言ったら彼の畑に市民5000人が殺到して掘り返していくとか(笑)。それは極端にしても、商店のレジに座ってるのに客を無視してニンニク弁当食ってるおばはんとか、昼間からビール飲んで屋外で雀卓を囲むダメ親父とか、中国にはよーわからん人々が大勢おります。
そんな想像の斜め上を行く多くの大衆を含めたカオスな空間こそ、かの国の社会でしょう。こういう現実から目を逸らしたまま「理解できる」中国人たちの存在だけを見て大喜びしていると、中国の姿はなかなか見えてこないんじゃないかと感じます。
共産党の指導者は、日本の指導者よりも優秀?
―本書では、ネット言論が民主化運動につながらない理由として、批判の対象が当局の“下っ端”に限定されがちで本質的な共産党批判には至らない点を指摘しています。
安田氏:本来、中国の憲法では言論の自由が保障されているはずなんですが、中国共産党中央や、胡錦濤や温家宝などの国家指導者層への批判は明確にタブーです。ネット上においてすら、言ったら冗談抜きで公安機関の怖い人がやってきます。
リアルに"とっつかまる"可能性があるという危機感が日本とはまったく違うし、どれだけ自由に見えても本丸には踏み込めないわけです。それでも上手く比喩などを使って政治的発言をするユーザーはちゃんといて、私は彼らにすごく敬意と親しみを覚えるんですが、その数が少ないこともやはり指摘せざるをえません。
―地方の党幹部の汚職や散財などの事実がネット上で指摘されて、結果として逮捕されたりですとか、政策に反映されるなどの事例はあるようですが。
安田氏:良くも悪くも、それが通用するのは地方幹部レベルまでで、もっと偉い人たちに同様の事態は起こりにくいと思います。例えば金銭スキャンダルが噂される温家宝(首相)への批判が、多数のネットユーザーの自発的な意思表示として出されたとしても、彼が実際に腹を切る事態はまずないでしょう。
そもそも、ネット上に「温家宝の汚職は云々」なんて話が出たら、投稿自体がすぐに消されてしまいます。書き込む側の人間も、そんな明らかに「ヤバイ」話は、自発的に心にセーブを掛けてまず投稿しない。
今後、温家宝をあからさまに批判する「ネット世論の沸騰」が発生するとすれば、共産党政権内で権力闘争が発生して、温家宝叩きが「政治的正義」とみなされる状況が生まれたときくらいかもしれません。みんなが政治的な風向きを読み取り「乗風転舵」して、文化大革命と同じノリで温家宝を批判しはじめる……、とかね。冗談ですけど(笑)
―中国人の民主化への欲求というのは、どれぐらいのものなのでしょうか?
安田氏:正直なところ、インテリ層を除けばそこまで高くないと思います。まず、「民主主義はよい」「これらは熱烈に民衆から求められるべきもの」という価値観が、日本以外の社会でも自明の前提として存在するのかという命題を疑うべきです。私個人は中国共産党の独裁体制を積極的に肯定する気はさらさらないですし、日本の自由な政治体制を支持しますが、あらゆる世界で民主主義が支持されるわけでもないでしょう。
私は昨年10月に「独裁者の教養」(星海社新書)という本も出しているんですが、世界中で見れば、民主主義がマトモに機能していない国の面積と人口はかなり多くを占めるんです。そのことに鈍感なまま「我々が民主主義だから、中国人もみんなそれを求めているはず」と無批判に考えるのはちょっと危ういかもしれません。
―最近ですと「アラブの春」のようなネット発の民主化運動がありましたが、同じようなことが中国で起こる可能性はあるのでしょうか。
安田氏:そもそも、アラブの春でソーシャルメディアが本当はどこまで有効に作用していたのかという点は、もっとしっかり検証されるべきです。エジプトでは20万人以上がカイロのタハリール広場に集まりましたが、彼らがみんなソーシャルメディア経由かといえば、それはないですよ。エジプトの一人あたりGDPは中国よりさらに低いし、全員がネットを使っているとは考えにくい。facebookやTwitterで革命の情報が流れていたのは事実ですが、一方でガリ版刷りみたいなビラを貧民街で配る「ドブ板選挙」的な活動家が頑張っていたという言説をするアラブ人もいます。個人的には、どうしてもこちらの方に説得力を感じますね。
「ソーシャルメディアが革命をもたらす」という前提がより厳密な検討を要する以上、中国で同じことが起こるかという話は、仮定の上に仮定を重ねることになります。「革命が起きる」と言っておけば日本人の価値観からは心地いいと思いますが、そんないい加減な推測でモノは言えません。
―ただ一方で政府側は、そういったネット世論の高まりに神経質になっているという意見はあると思うのですが。
安田氏:それは間違いなく事実です。あれだけ広い国を独占的に支配している人々は、腹立たしいですが優秀なところがあります。たぶん、日本の大部分の政治家より優秀な人たち。ですから、後々のリスクになりそうなことをしっかり管理していて、早い段階で除草剤をまくわけです。彼らは高速鉄道のリスク管理は全然考えないですが、反政府言論へのリスク管理意識は無駄に高い。中国共産党は悪の独裁組織(笑)ですから、プレイヤーチートみたいなエゲつないパラメータ配分が可能なんです。
中国とはあくまでも”ビジネスライク”に付き合うべき
―現状で「中国のネット世論」を正しく理解するために、必要なことはなんでしょうか。
安田氏:有益な情報はあるので、「信頼できない」とバッサリ全否定するのはNGです。中国の都市部において一定の学歴なり生活水準を持つ、10代半ばから30歳ぐらいまでの世代の価値観を垣間見るには有用なものでしょう。
また、発言者の身元や所属集団が何となくわかっている場合には非常に有用です。例えば、ある日系企業について調べるとします。学校裏サイトじゃないですが、その企業の「従業員裏サイト」みたいなものを発掘すると、使い方次第ではよい情報源になると思いますね。「待遇が悪い」「別の企業の方が給料が高いのに!」といった書き込みは、彼らの本音を反映しているかもしれません。あと、特定の商品へのユーザー同士の情報交換とかも、うまく取捨選択すれば使える情報です。
―今後、中国とはどのように付き合っていくべきでしょうか?経済の視点から考えると、無視することが出来ない市場であることは間違いないと思うのですが。
安田氏:経済面でみれば、中国と商売しなきゃという意見は至極真っ当ですし、事実として必要です。だからこそ、変な思い入れをもたずに付き合うべきだと思います。日中友好は大事だとか、過去に戦争して申し訳ないとか、歴史的に付き合いが長いといった情緒的な理由からではなく、国と国との関係はよりビジネスライクにやるべきだと思います。
日本側が中国の「反日」や「親日」に一喜一憂する一方で、中国はこれらの問題を極めてドライに処理しています。彼らは政権の利益と指導者の意向次第で、日本が自衛隊を増強したって「親日」になれるし、逆に村山談話みたいな親アジア姿勢を示してもあっさり「反日」になる。逆に言えば、それだけの話でしかない。
胡錦濤は、どちらかというとあまり反日的なことを言わずに経済ベースでつきあっていこう、という人でした。しかし、習近平のスタンスは不明ですし、トップの交代を機に「反日」が復活するかもしれない。上司が変われば部下の振る舞いが変わるのと一緒で、民衆はトップの姿勢に対して表面上は合わせます。ただ、それらは所詮「先方の内部事情」です。
日本人は、お国なり会社なりの利益を増やすべく、割り切って中国と付き合うべきだと思います。取引先の人が、先方の会社内でパワハラしてようが、プライベートで不倫をしていようが、商談の場では普通に名刺交換をするわけでしょう? それと同じように淡々と関わればいい。で、長期的に見てもこっちの利益にならないと感じたら、場合によっては情に流されずにスッパリと手を引いて構わない(笑)。これって、日中戦争の教訓でもありますよね。
……ただし注意しなきゃいけないのは、これは国と国との関わり方に限った話です。個人同士の関係でそんなことをやる人間は、日本でも中国でも「最低のクズ野郎」でしょう(笑)。気の合う中国人とは友達になればいいし、個人の関係であれば日中友好も日中相互理解も努力次第では充分に可能だったりします。中華人民共和国という国家には極力クールに接しつつも、こういう部分でのスイッチの切り替えはちゃんとしたいところです。
―最後に今後の活動予定を教えてください
安田氏:次回は角川書店より、「和僑(在中日本人)」のルポタージュを書かせていただく予定です。中国に渡ってビジネス的に成功した経営者の話なんかは、様々な媒体が既にたくさんやっているので、中国にいる一般の方を取り上げたいと思っています。例えば上海だと、一説に10万人の日本人が暮らしているといいますし、日本人向けオンリーの日本料理店があったり、日本人専用の雀荘やキャバクラまであったりする。そういう「中国にあるニッポン」のいろいろな姿を追いかけていこうと思っています。
―本日はありがとうございました。
プロフィール
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安田峰俊(やすだ・みねとし:めいろじん)
1982年生まれ。ライター。ブロガー。
広島大学大学院修士課程(中国史)修了後、ノンフィクションライターに。
著書に『中国人の本音』(講談社)、『独裁者の教養』(星海社)『中国・電脳大国の嘘』(文芸春秋)など。中国のネットウォッチブログ『大陸浪人のススメ』を運営中。